暗くたって1人前。

現代人のノリについていけない一昔前の世界に生きる人間の日々。辛く楽しく、それでも生き抜けたもん勝ち!!

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何にも遠慮することなく、生きていいのです。

お久しぶりです。

見てる人はいないと思うけど、時間が出来たのでひさびさに落ち着いて書いてみます。
なんだかそういう懐古的な気分なのでしょうか。
ちゃんと言葉を正しく使えているのかも分からないのは、昔から何一つ変わりませんが。

本日こちらは肌寒く、せっかく気合い入れて履いたスカートも大変おさむうございます。
私がスカートを履くなんって、やっぱり変でしょうか。
しかし、きっとずっと心の奥では履きたいと思っていたんだと思います。
だから、そういう意味では開放感あふれる服装なのです。私にとっては。
まぁ・・・もっとも・・・何を言うか既に予想されているとは思いますが、
スカートという服装事体、開放感あふれるものですけども。


さてさて。スカートに代表されるように、どうでもいいことを、
ずいぶんと長く、我慢してきたように思います。
周りから強制して我慢させられてきたのではありません。
自らの希望で、そうするべきなのだと、なぜか強くそう思い込み、
私は多くのことを我慢してきました。

(何も我慢せずに言いたいこと言い散らかしてるって?
 ご冗談をw)

これは、ひょっとすると、強制的な我慢よりも性質が悪いものかもしれません。
本人が自分で自分を押さえ込むのですから、
それはもう、自己矛盾の固まりで、自虐的にも自暴的にもなりますよね。

思い込みというのは、そこから抜け出せば跡形も無く消え去るものかもしれませんが、
その実かなり厄介で、世界は全てそれによって歪められてしまいます。

私は、以前、スカート売り場に行くと吐き気を催していました。
文字通りの吐き気です。

たかがスカート。

そのたかがスカートで、なぜ面倒なことになるのでしょう。

それはあなたが本当の悩みを知らないからよ。

そういう人もいるかもしれません。確かに世間一般的で見たら
私は苦しみを知らない方なのです。それは客観的にははっきりしています。

けれど、いつも言うのは、人はいつも何かを探して自分から悩みに行くということです。

悩みがなければ悩みを作る、それほどに人間は悩みを欲しているのかもしれません。


とりとめのない文章は一向になおりませんが、

そういうのが最近になってやっと、思うように出来るようになって、
私はずいぶんと身軽になった気がしているのです。決して体重はそうではありませんが。

きっと以前より気持ちよく笑えているのです。
以前よりご飯は美味しいのです。
以前より他人との関係も良いのです。(たぶん)

たぶん、誰もだぁーれも私については私が思うほどの興味はなくて、
私は気持ちよく、気持ちよーく、思うままに、自由に、

論理的である必要も、順序立てる必要もなく、

生きていいのです。
  1. 2014/09/20(土) 19:41:29|
  2. 日常。
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【野生の】2014年は良い年になるよ【勘】

あけましておめでとうございます。
2014年は埼玉県と東京都の間にかかる橋の上で迎えました。
どうしたもこうしたも、父親と迎える正月は
なぜか毎年深夜の散歩が恒例となっておりまして、
さっぶい中をおまわりさんに疑惑の目を向けられながら、
今年は更に体調も悪い中
(僕に関しては眠気と戦い、父親に関しては吐き気と戦っていたようです)
赤羽に一路南へと出発したのでした。(午後10時頃)
ぬくぬくと暖かいマンション、まどろみながらリラックスしている私への
仕打ちとしては、おそらく最も冷酷なものだと思います。

目標は赤羽だったのですが、
度重なる父親の咳とくしゃみとトイレ探しに、
これはもう帰還した方が良いとのことで、
往復8キロで散歩を終えました。8キロ散歩って言うの?

家に帰り着いてほっとして、そしてそのまま父親の年賀状作成の手伝い。。。
年明けて年賀状なんって今までなんでお前は余裕ぶっこいてたのか分からない。。。
3時間に及ぶ過酷な戦いに勝利し、年明けして
いろいろ思う暇もなく、眠りについたのでした。


という訳で、自宅のトイレをひたすら思い願う年明けとなりました。
愛するトイレのことを思いながらの年明けなんってまさにannらしいですけども、
皆様いかがお過ごしでしょうか。
帰省したり休んだりしていますでしょうか
正月料理に舌鼓をうって、着実にゲインウェイトされておりますでしょうか。
思う存分食べて良いと思うのです。
食べれる時は食べて、だって食べれないときは全く食べれないのですから。




さて、いつものように、2013年を総括しようと思うのです。
いやだって、こうでもしないと、日々の喧噪の中に
「反省」という二文字を、わたくしめは忘れてしまいそうになるのです。
罪深い・・・なんという罪深さ。
間違いは犯すこともあるでしょう。
しかし、歴史から学ばざるものは、成長しません。
そう、僕みたいにね!!


そうそう、長いので、先にまとめておくと、

2014年の目標は


1、2015年の行き先を決める!
2、論文を出す!(最低1本、理想的には2本)
3、博論を書く!(修論にならないよう、しっかり読んで分かるもの書く・・・)
4、行動を記録し、それに基づいた反省を行って次に生かす!
5、留学中は無事に生きて戻ってくる!

以上です。

2014年、僕の勘ですが、良い一年になると思います。
僕の野生の勘は鋭いので、当たります。 【“【野生の】2014年は良い年になるよ【勘】”の続きを読む】
  1. 2014/01/02(木) 16:38:53|
  2. 日常。
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虎なんか素手で殴り殺してみせる。

芸人は幸せになったら面白くなくなるそうですが、
ぼくは芸人ではありません。
面白くないのはもとからです。

いろいろ自由度が増えて来て選択肢も増えて来て、
今まで全然何かの抵抗でなぜか知らないけど出来なかったこととか、
恥ずかしくて出来なかったこととか、
夢にも思わなかったこととか、
いっぱいいっぱい、僕は出来るようになりました。

そうして、過去の自分とだいぶ隔たりがあるような錯覚に陥っていたのですが、


実は


結局時間の流れの中で生きる我々は、
過去の我々と、隔たることなど、恐れ多いのです。

常に過去があって今があって、そして、たぶん、明日がある。




まぁなんていうか、なんていうかですけどね。
なんかあったんでしょうね。

ちんたら実験してたせいか知りませんが、
とにかく神からよっぽど目つけられてるのか、どうなのか、
とにかく、とにかく、事実は小説なんか目じゃない。まぢで目じゃない。
本当に、何度だって繰り返して言いますけど、小説どころじゃないよ現実は。
あなたたちも心当たりがあるでしょう!あるでしょう!!
まぢかよ、うそやん!!まぢかよまぢで!!みたいなことが!!

ふぅ。


今日の帰り道、塞翁が馬って自分に言い聞かせてました。
ひょっとしたら、これはつまり、百メートル走でぼくがずっと期待していた虎なんじゃないか。
だとすると、今こそ全力疾走する時なんじゃないか。
今こそ僕が全力疾走して、全力で1位をとりにいく時なんじゃないかと。

期待していたレースを神様が準備してくれたと。


もう泣いて想像を働かせて、そう思うしかないよね!!


ふぅ。


心を落ち着かせて、また明日からがんばりましょう。
やり過ごすのは得意ですし、

僕は多分、創造性ゼロの職人気質だから、
決まった仕事をするのは得意なんです。

今じゃ、もう役に立たなくなってしまったみたいけど。
ロボット発明されちゃこまるなー。

何を言っているのか分からなくなったところで、
みなさま、僕の無事をお祈りください。


どうか神様、虎に捕まりませんように。
むしろ、武松になれますように。

素手で殴り殺してやる。虎なんか。
  1. 2013/11/22(金) 23:40:18|
  2. 日常。
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形にしてみるとやっぱり違うような気がする!

今すっごく眠くて頭が働かないのですが、
人並みにいろんなものへの憧れは存在していて、
普段は我慢しているのですが、

それが叶えられることはやっぱり嬉しいし、
そのようにあつかってくれる人がいることが、
何よりの幸せです。

今現在の能力は事実としてそこにあり、
それは動かしようのないものですが、

その能力の中で、将来的なことも考えた上での

最善の選択、というものがあり、
それが出来る人であったことや、

そういう選択をした上での、形となったものが、

ひどくあれこれケチつけて口うるさい私が見ても
満足なことこの上ない、すてきなものだったと。


まさに魔法であります。


そういう訳で新たにシャインちゃんなる子を
我が家に迎え入れた訳です。


この子を迎え入れる際に二人がした決意は、
この子を眺める度、沸き上がる永遠のものとなるでしょう。

でしょうと書いちゃったけど、
実際、そうなることを、今の私は願うしかないのですが、

まぁ非常に保守的に言って、この願いは真実です。
保守的過ぎましたか。。。


さて、そうは言っても、
未来に思いをいくら馳せようと
我々が歩むは今のこの時、つまり現実です。

他者からの援助でいくらでも違う選択は出来たはずです。
だけど、それは違うのです。そうやって行った選択は、
未来の準備ではなく、単なる形式です。
僕は、おそらく、単なる形式ってやつが大っ嫌いなのです。
(御都合主義なので真逆のことを他の場で言ってたりするけど)


お互い納得するものが、お互いの能力に見合ったものが、
つまりもう一度言いますが、最善の選択が出来たことが、

非常に嬉しい。
その過程も含めてすべて、非常に嬉しい。
私に勇気を与えるものですらあります。

形あるものの力強さというのは、その形だけじゃなくて、
それにまつわるすべての物語も含めての力なんだと思います。
だから硬い。いろんな意味で硬い。


さてさて、
人間、生きているからには輝かなければなりません。
精一杯輝くようにあがいてあがいて、それでやっと生きていると呼べる訳です。
たかが石の輝きには負けません。
これよりもっともっと、僕は僕らは輝いてみせる。


これは、そういう決意です。
  1. 2013/09/11(水) 00:49:56|
  2. 日常。
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僕的にはこれで十分波瀾万丈。

いっぱいあった。

眠れなくて1時間おきに目覚したり、

ドキドキしてうまく息が出来なかったり、

二人だけの、クーラーを長時間つけたあとの部屋の

湿っぽい空気に支配された世界に侵されたり、

寝言で「神様!助けて!!」と絶叫して起きたり、

過呼吸の相手を慰めたり、

日本語が通じなくなる相手に恐怖を覚えたり、

両親との非常に非友好的な家族会議でやっぱりただの一方的な言い渡しだったり、

恐ろしい母親の意図だったり、

それに対する自分の、自分自身でも驚く対応だったり、

あの恐怖の日々とか、

まさに枕を涙で濡らしていた毎日だったり、

別に大したことじゃないけど、頑張って笑顔作っていたり、

相手とのカフェでのお話とか、


今ちゃんとそばにいて、愛し合えてても、

あの頃のことを思い出したりすると、それはそれは悲しくて恐ろしくなる。

西野カナじゃないけど、震えるよ。今でも。



でも、今、ここに今、二人の関係があって、

私はこの関係をもてたことをこの上なく幸せに思うし、

そういう波瀾万丈(僕の中では十分にこれで波瀾万丈です)の

多くを乗り越えてきたからこその関係が、

とても愛しくて、とても満足なるものなのです。




毎日のように喧嘩すれば二言目には別れるだのどうするだの、

あーでもないこーでもないってツイッターやメール、スカイプに影響されて、

会う人会う人に心配して、

でも結局僕が僕自身に負けて。



まだなぁーんも解決してないけど


さっき言い合ったように、確かに関係はパワーアップしたのだ。

なんでも言えて、なんでも話しあえて、

地雷を含まない関係が、これほどまでに気持ちよく、


全身全霊かけて相手を愛せるのが、

こんなに嬉しいことだとは想像もしなかったよ。


まだまだ道は続くし、問題は山積みだけど、



問題ない。きっとまた更に更にお互いの深くを知って

そして、ちゃんと上に開いた放物線を転がる二つの玉になる。



成長出来ていることが、自己評価だけど、

すごくすごく嬉しい。
  1. 2013/08/11(日) 01:11:22|
  2. 日常。
  3. | コメント:0
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