暗くたって1人前。

現代人のノリについていけない一昔前の世界に生きる人間の日々。辛く楽しく、それでも生き抜けたもん勝ち!!

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例えばそこに、理不尽がいたとする。

例えばそこに理不尽がいたとする

あなたはそれを理不尽だと思っても
何もすることが出来ない
なぜなら、
あなた自身が理不尽なのではなく、
それは他人の心によるものだから。

あなたは何もすることが出来ない。

思い通りにならないことはいっぱいある。
笑って、大好きや愛しているの陰に
どれだけナイフが隠されているか、
時には見えない。
相手にも、もちろん、あなたにも。

でも。

仮に見えたとして、
あなたに何が出来る?

相手に本当のことを言っても
伝わらない。伝えられない。


だから。

理不尽だと思っても
心にしまい込んで、
相手に背を向けて

あなたは涙することしか出来ない。

それはあなたが背負うべき悲しみで、
ただ味わって、受け止めるしかないもので。

そうして、やっと、

人生は深くなる。

味わい深くなって、豊かになる。


たぶん。
  1. 2015/05/07(木) 21:02:30|
  2. 日常。
  3. | コメント:0

やっとまた逢えた。

ジェイたんの音楽を聴いてまた心がざわついて、ついついここまで足を運んでしまった。
実にゆったりとした時間が流れている・・・というのは錯覚です。
本当はぼく、すごく忙しい。

でも今、金曜日のこの夜、このクソみたいな現実の中で、
ぼくはぼくなりに毎日頑張って生きていて、だから、だから、今、今この時だけは
ジェイのメロディーに身を任せて、ただ感じているだけでいい。

とかなんとか気持ち悪いこと言って、

溢れ出すこの思いを私は悲しいことに、ありのまま、
たらたらと、チャイ語で書き綴ることが出来ない。
頭から溢れ出す言葉を急にチャイ語にすることが出来ない。

たぶん、チャイ語で一度考え出せば、それはそれでとりとめもなく書くことは出来るのだけれど、
日本語の方が音節が一つ一つ長い分、次の言葉を考える時間があって、
常に手を動かしてブラインドタッチしてられるから、
作業を停めることなく、なんとなく、すらすら書けてる気がするだけなんだと、思う。

やたら短いし、中に意味いっぱいあって、ゆっくり吟味書かないといけないのがチャイ語で、
日本語ほど自由度が高くて、私みたいなあーでもないこーでもないみたいな人間にとって
扱いやすい言語もない。いや、ひょっとして、日本語をいっぱい勉強したから、
あーでもない、こーでもないみたいな性格になったんだろうか、まさかね!!

彼があちらに行ってからというもの、私はちゃんと自分で生きています。
自分は実は自分独りの時間が大好きで、
この寂しさに、苦しめられながら、それがたまらなく愛しい。両手でもってほおずりしてやりたいくらい。
大事に、大事に。ゆっくり一歩ずつ、生きて行かないと、
寂しさが壊れてしまうから、ゆっくり味わえないから、
だから一生懸命、寂しさをむしろ欲してしまうあたりがあるのです。
人間みんなそうだと思うけど。


でもいくら、悲劇のヒロインやってるのね、と思われても、私はいいんです。

よろしいですか。
我々人間は常に何かに満たされている。
だから、何か新しいものを感じたり聴いたりやりたいって思ったら、
既存の何かから手を引かなくてはいけない。
今までの自分の世界が例えば彼に満たされていたとすると、
彼を失ったその世界には、ぽっかり穴があく、そう思うかもしれないけど
現実はそうじゃない。

そこには必ず何かが埋まる。
何かによって埋められる。

だから、彼がいなくなった分、私は自分のことに気を回せる時間が長くなって、
しっかり生きるようになって、いろいろ出来るようになって、
ずいぶんと無駄な時間も減って、効率的で、
それでいてリラックスする時間も出来て。満足なんですね。

ははは!さようならお前!!

と言ってやりたい。

根本的に「今」を肯定的にとらえるのが好きなのかもしれない。

そうだ、申請書でも書こう。(笑)
死ぬほど書いてやるつもり、いくらなんでも出し過ぎだろってぐらい5月前に出して、
それで僕は絶対欲しいもの手にいれるんだ、外国で仕事したい!って言って、
これやりますって言って申請書出して、生活費も給料も出してくれる、

そういう仕事、他にあまりないですもの。
実はそういう意味で研究者ってすごく恵まれてる。
それを最大限に活用して俺はカナダに行くんだ!!ぷんぷんお!!
  1. 2015/04/24(金) 20:33:15|
  2. 日常。
  3. | コメント:0

一区切りつけました。

晴れ渡る青空に満開の桜が実によく映える日でした。
強めの風に、桜と共にコートも髪の毛も、忙しくあちこちに吹かれた一日でした。
そして人間の私も、朝から数十キロの往復を強いられ、あちこちに吹かれました。

一区切りつけました。つけてやりました。

目的の場所に到達してからも、いや庁舎が違うだの、
その前に写真を撮りたいだの、写真は桜が背景がいいだの、
この桜大国の日本なのに視界に一本も桜の木が入らないだの、
だったら神社にお参りに行きたいだの、おみくじをひきたいだの、
桜の場所が上過ぎるだの、下過ぎるだの、周りに人が多いだの、
なんだか雰囲気が暗いだの、明る過ぎるだの、
やっと目的の場所に戻ってからも、やれ名前の漢字がおかしいだの、
番なのか番地なのかはっきりしないだの、
提出出来たと思ってワンブロック歩いたら連れ戻されるだの、

とにかく、これでもかと、これでもかと、これでもかと
いろいろありました。

要するに、「いつも通り」だったんです。私たちにとっては。

いつものように嬉しいのに、いつものように心に不安を抱き、
いつものように罪悪感が視界の隅に移り、
いつものように、私はそれら全てを認めて、
前に前に前に前にとにかく前に進む、信じて進む。進むんです。
だって進むしかないもの、一度っきりの人生だもの。
私の人生は他の誰も責任を持つことが出来ない。
私が責任を持つしかない。私が。

いつもこの上なく幸せなのに、いつも心が最高に折れそうで、
ダメなら日を改めると、ビクビクしながらひいたおみくじ。

二つの大吉は、力強くこれからの私を私たちを支えてくれるんだと、
そう思って、もう珍しくもない汗をまた目から流すことになったのです。


『おめでとう』

という言葉は、一番聞きたい人たちから聞けてないのが
全くもっていちいち僕の心をチクチク鋭く刺すのだけれど、

案外、ぼくの心はここ5年で、鈍感にもなり、肉厚にもなり、


結果で示すのです、という決意を胸に、明日からの人生を

再び力強く、前に前に前に向かって前を睨んで生きて行く。


僕は僕たちは。
  1. 2015/03/31(火) 23:12:22|
  2. 日常。
  3. | コメント:0

いっぱい書いたけど、要はわがまましますよってこと。

外研先の送別会に参加してきました。

構成員が違うため、
自分の所属ラボとはまた違った雰囲気で、それはそれで、
なんだか独特の調和があって、いつもすごいバランスだなぁ、なんって
人間の神秘に感嘆していた、そういう研究室です。

人間みんなそれぞれに悩みがあって、
それは何を得ようと何を得まいと、変わらないことで。
いつも何か非常に深刻と自身で思うな悩みが、
金魚のふんのように我々につきまとっているのです。

「ははは 私を倒しても何千何万の私がいるぞ!」
「だって、私の代わりはたくさんいるもの」
「一匹見たら、百匹いると思え」

ま、そんな感じのものですかね。悩みなんて。

しかし、人生は(おそらく)有限で、身体も一つだし、頭も一つ。
着る洋服だって食べる物だって、有限なのです。
もちろん、それは出会える人間だって同じ。

たぶん我々には、他人に指図されてあれこれする時間など、これっぽっちだってないのです。
欲しいものを手に入れるために、全力で戦うしかないのです。
だって自分の時間は有限なんだもの。
自分自身のために戦ってくれる人間なんって、それは疑いようもなく、自分自身だけなんですから。

自分はどう感じますか?何を思いますか?何がしたいですか?
何が食べたい?何処に行きたい?誰に会いたい?何を話したい?

せっかく生きているんですから、自分の欲望を叶えなくてどうします。
そして有限なんですから、「今やらなくていつやります?」

なんとなく、と生きている毎日をもう一度よく精査してみましょう。
どれだけやりたくないことをやっていますか。
それはあなたの人生にとって必要不可欠なものですか。
あなたはあなた自身のやりたいことに向かって、前進してますか。

別に業績や名をあげることだけが前進な訳じゃない。
幸せな家庭を得るために、維持するためにだって、
想像以上のエネルギーと努力が必要です。

短い人生の中で大事にしたいものはなんですか?
仕事、家庭、自分自身のこと、それぞれどれだけ大事にしたいですか?

結局自分がどうしたいかってのが一番大事なんだろうと思うのです。


自己中に生きるところと、他人の自己中に生きるための融通と、
かなり究極的なバランス感覚を必要とされているようなそうでないような。

答えははっきりしているはずなのに、いざ視点を変えてみると、
物事はやっぱり複雑で、そう簡単に解決の糸口は見えてきません。

ま、わがまま通さしてもらいますけどね。


  1. 2015/03/21(土) 14:46:06|
  2. 日常。
  3. | コメント:0

突发回忆


好久不写了,也好久没用中文写一句话以上的文章了(如果你还称它为“文章”的话)

十五年过去,我还是听着周董的歌,两耳被美丽的旋律侵占了。
我知道,这叫做,幸福。

音乐是个怪物,点点旋律,竟然能够传达那么多言语所表达不了的东西。
慢慢听懂了为什么这么喜欢,为什么这么动人,因为那里面有“故事”。
克服了困难后的坚强,还会略带些逞强,挣扎后的明天,眼泪的晶莹剔透。
这些都非常诱人,虽堵住了胸膛,但人们喜欢这种感觉,毕竟,他是在挣扎。

挣扎它本身就是一种力量。
面对明天的,肯定过去的。
肯定自己本身的存在,虽然没有老师会告诉我们,但是我们自己应该知道,这其实才是最重要的人生真理。
要肯定自己本身的存在,不要去怀疑,那里没有答案。
世上没有“绝对”,但那里有。那是唯一的“绝对”。只许相信,无需怀疑。





听歌,总会有思绪不断的涌出,也许是因为刚写过博士论文的谢辞吧,情不自禁的。

十五年前,我还是初中生。回国遇到了挫折,但是两肩的负担轻了许多。
考试不再是全班第一,同学的目光中没有了羡慕的眼光。
我先前想象不了那样的自己,但是实际呢?

老师还是夸我是个董事懂礼貌的好学生。
同学好像更易接近了,莫名其妙的一场大哭害得同桌的她吓得很,但是她尽力来安慰了我。
从这里开始,我好想有点发现,原来还可以不透过成绩去评价自己。
但是我还是靠着一些客观的东西来认识自己。

后来到了考高中,紧张了一把,不过考试对我来说从来也不是个问题。
没有困难,能考上的考,考不上的降低水准,再考,这会有难度么?
所有的答案都在书本上能找到,怎样解题老师会告诉你,还有什么困难?
就这样,我幸运的(也许是不幸的)考上了第一志愿。
没有挫折,进去之后只是觉得周围和自己的距离,但是没有刻意去在意。
开始因为父母的存在而感到约束,怕伤了他们的心而自觉地控制自己的欲望。
从小养成的看大人脸色的习惯,开始慢慢成熟而成为了我与外界的高高围墙。

高考有过些挫折,但也还是上了日本最好的大学。
人际关系一直是一个问题,直到如今也是。
分析起来应该是太过于在意自己形象的原因吧,
外加上一些对于他人的过多考虑,孤独的大一大二,幸好我坚强的活下来了。。。

后来困扰我的是两件事情。一个是研究,其次是感情。
我从小就没有过什么兴趣爱好,什么事情都绝对不会过度。
这对一般人来说大概也不会是什么缺点,但是关于研究,这是一大弊病。

没有热情遇到困难时如何熬过?研究工作本身枯燥,
记得大学毕业的一个老板挺着大肚子曾对我说过,不是“熬”,要钻研。
我真想破口大骂,你他妈这不是“熬”,还以为是什么??

幸亏有了“感情”,他是个小日本鬼子。但是对我来说无非是我的另一半。
也许鬼子毕竟是鬼子,父母的不同意足足让我哭了五年,苦了五年,躲了五年,藏了五年。
隐瞒了五年,日日夜夜这日子我不敢回忆。
不想再被自己的一声,“上帝救救我吧!”而叫醒。

是的,上帝。我只是在恋爱,哪个年轻人都该拥有的幸福啊,
和自己的心上人出门逛街,到公园里,到海边,到森林里,到游乐园培养感情,
将自己这二十多年的忍耐释放出来,用所有方式来珍惜眼前这个终于遇见的另一半!

可是父母的反对对于“好孩子”来说又如巨石一般死压住我不放,
挺不直腰,喘不过气,无论和他多高兴,也抹不去一丝空缺啊。

我怨,我恨,我悲,我大哭大闹始终也无法争取到我该拥有的,梦想的那些东西。

无数次试着将另一半抛开,但是那更加不可能。

遇见他之前我不知如何肯定自己。
只会从成绩,懂事来维持自己的生命。
我不敢承认自己是女孩而涌起的欲望,如打扮,穿裙子,求助之类。
到裙子店里会有呕吐感,当时不知道,现在分析一下,那应该叫病态吧。

父母见此真不为怪么?他们为什么对此无动于衷呢?

是他一再的肯定,使我自己有了信心。使我自己真正意义上理解了为什么我可以在这世上存在。
使我可以不再依赖成绩或他人的眼光去维持自己的生命。
使我重新踏上了自己的人生道路。原来我可以以我自己的存在而存在!

我遇见了他,每天不知道心里有多好过了。
之前压在心底的许许多多,慢慢的,终于可以一个个实现,释放了。

父母还会问我,难道你非他不嫁么?

这是一个多么愚蠢的问题。

什么叫非他不嫁?我提出要嫁给别人过么?
我判断我今后的生命里需要他,这还不够么?
至于今后会怎样,我又怎能保证呢?未来的事情无人知晓,你当我是巫婆么?



写了太多,累了,下次再说吧。。。



  1. 2015/01/28(水) 16:07:48|
  2. 日常。
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